水窪の最北部である草木集落(遠木沢、下草木、北島、渡元、針間野、大嵐、時原、桐山からなる)のうち、針間野集落と大嵐集落をつないでいた生活道を歩いてきました。
針間野、大嵐は白倉川の西側斜面に位置する集落で、昭和50年以前には針間野に14軒、大嵐(桐山含む)に16軒が暮らしていたそうですが、平成元年度時点の調査では針間野2軒、大嵐4軒が残るのみとなっており、現在では、いずれの集落にも人は住んでいません。
子供の頃、針間野のおじいさんのお宅に良く通ったという方にお話を聞くと
「針間野から大嵐をつなぐ道は畑の間を通っていく分かりやすい道で、子供の頃は走って10分くらいで針間野-大嵐間を行き来できたね」
とのことでした。
今回その道を歩いてみたのですが、畑跡に植林したスギ・ヒノキが大きく成長していて、もはや畑沿いの道という雰囲気はなく完全に山道と化していました。とはいえ道跡は比較的はっきりとしていて、かつてこの道を駆け抜けた子供たちの姿を想像しながら歩くことができました。
崩壊しつつある家屋の周りには、週刊少年誌、スノボ、自転車など舗装道とは縁のない山奥の集落とは思えないような思い出の品も多く残されていて、奥地でありながら、街の娯楽や文化も享受して暮していた様子が見て取れました。
こういったかつての集落や生活道はいつかは消失してしまうものですが、こうしてたまにでも誰かが歩いて記録しておくことで、細々とでも文化や記憶の継承につながっていけばいいな、と思います。
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