水窪最北の集落(つまり遠州最北の集落)である草木をじっくり歩いてみました。草木は大きく草木区(遠木沢、北島、下草木、渡元)と大嵐区(大嵐、針間野、桐山、時原)に分かれています。
これらの集落は水窪の中でも特に山と密接に関わる暮らしを営んできました。焼畑農業を含む農耕を営み、農業をしない時期には山林労働に従事してきました。今では、山は交通の面では不利に働きますが、自動車がなく徒歩や馬で移動していた時代には、かえって近隣のムラにたどり着く最短経路として、峠越えが盛んに行われてきました。草木においても、青崩峠や兵越峠を越えて和田をはじめとした信州のムラムラとの交易・通婚が盛んに行われていたそうです。
そんな草木ですが、自動車道の整備や産業の衰退などにより、集落の縮小が進んでいき、現在では住民が一人もいなくなってしまった集落も少なくありません。
今回は、人が住まなくなった集落の一つである遠木沢に生まれ育った竹中重利さんに草木を案内していただきつつ、かつての暮らしのお話などを伺うことができました。草木から運ばれてきた木材を馬力(馬搬)を使って運んだ経験があるという池島地区の中谷博彦さんにも話を聞くことができ、とても充実した集落歩きになりました!
<竹中さん談↓>
「子供の頃、木馬道(きんまみち)の上で遊んで怒られたもんです。高い所を通っているところは、道の隙間から下の景色が見えて怖かった。上級生が簡単に歩いて行くのをこわごわ付いていったね。」
「こうして地元の草木を歩いて回っていると、昔の思い出がよみがえってくるね。特に子供の頃のこと。」
<中谷さん談↓>
「馬力で丸太を引いて水窪の街に出たついでに映画を見たりしたけど、その時に肝心の馬を街に忘れて家に帰ってきてしまったことがあったなあ。」
また詳細は何らかの資料にして発信できればと思います。
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