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【取材】地域の人と暮らし

地域の方から伺った話をかいつまんで自分の言葉にして発信することはあるのですが、もっと話し手の語り口や熱量を含め、なるべく詳細な形で残しておきたいと思い、そのための取材を少しずつ始めています。最終的には冊子にして地域に残したいと思うのですが、特に印象に残ったお話などは降りに触れて個別に紹介できたらいいな、と思います。

 

【長尾:熊谷さん(昭和22年生)~山勤めと幼少の思い出】

★定年まで国有林の常勤職員をしていた熊谷さん。当時は水窪の山奥にも事業所があったのですが、林業の作業員とともに、専属の炊事係の女性もそこに常駐していました。この炊事係の女性のことを「かしき」と呼んでいたそうです。由来はよく分からなかったのですが、その場で辞書を引くと「米・麦などを煮または蒸して飯とする」という意味の「炊ぐ(かしぐ)」という言葉があったので、これが由来なのではないか、と取材そっちのけで盛り上がりました。

 

~以下なるべく取材時の言葉そのまま~

 

★昔は山に人がいっぱいいたね。(国有林で仕事を始めた駆け出しの頃、)盆や正月で山を下りるときには、班の人(臨時雇用の作業員)がおこづかいをくれるのが嬉しかったよね。ご苦労様でしたって。あの衆は出来高だからやればやった分(報酬を)もらえるからね。おらは常用だから定額だったけど。伐採も(木材を集材機や索道を使って)出す衆も出来高。その日の作業終わりの時に「晩酌代!」つってちょっとだけ余分に仕事してたよね。

 

★田んぼを耕すために牛を飼ってたね。牛乳背負っては牛乳工場に行ったね。うちの中に牛小屋があったよ。家族と一緒だわいね。炊事場に土間があって、そこに牛や馬が顔を出してたね。牛乳は売るため。牛のたい肥を使ったキビはうまかったね。

 

★(熊谷さんが子供の時分には)子供はおったおった。遊ぶことは多かった。自分らで竹馬作ったり手裏剣作ったり。とんでもない山の方で遊んでた。山にある作り畑(焼畑)で子供だけでも遊んでた。親もあんまり心配しなんだ。西浦のはくりや(お店)の下あたりで水かがみ(水中をのぞく道具)使って遊んだね。一日中遊んだ。面白かったね。工場なんてなくて、みんなほとんど山仕事とかだったもんで、大人が見えるとこに(子供が)いたね。滞在仕事が多いから(大人が)子供とも知り合いになるね。(山仕事の場合だと)一つの山を庄屋が買うと一月も三月も(作業員が)ずっといるしね。休みも皆一緒だからお祭りとか行事もやりやすかったよね。学校帰りに貯木場に寄っては森林鉄道に乗って遊んだね。音が響いて面白かったね。正月と盆になると森林鉄道に乗って営林署の人が降りてきて手をふった。あの頃は営林署って呼ばずに「御料の衆」って言った(今の「森林管理署」)。

 

【感想】

かつての国有林の地図や昔の山仕事の本を開きながら、日ごろお世話になっている熊谷さん夫妻と思い出話に花を咲かすとても楽しい時間でした。技術的な面を含め、かつての林業現場の詳しい話もたくさん伺うことができましたが、どうしてもマニアックな内容になってしまうので、それはそれでまたまとめることができたらと思います。