一昨日、水窪町の無人集落を訪ねました。
水窪の最北で長野との境に位置する草木地区の集落の一つです。標高900~940メートルに位置する高地集落でかつては15戸を数えたそうですが、現在住む人はいません。
このあたりでは、かつて家の周囲の畑のことを「カイト」と呼んでいたそうですが、カイトとおぼしき場所はススキで覆われ、もの悲しさを感じました。
オイル缶を軒先に吊るしたものを見つけたのですが、きっとカイトに獣が侵入するのを防ぐために棒などで打ち鳴らしたのだろうな、と当時の生活の光景が浮かんできました。集落のすぐ隣の林には谷へと架線が伸びており、林業が営まれていたこともうかがえました。
人が住まなくなってしまった集落に一人で立つと、どうしても昔の暮らしを想像してしまいます。おそらく当時の人が集落を去る次の年に例年どおり使うはずだった残された薪や藁を見てなんとも言えない気持ちになりました。
ただこういうことは、当時の暮らしの苦労を知らない自分が推し量れるようなものではないと思っています。時代の流れでどうすることもできないこともあるでしょうし、集落が存続したとしても集落に住む人の気質だったり暮らし方は形を変えていくものだとも思います。長い目で見ればそれは自然なことで、今までもそれが繰り返されてきたのでしょうが、自分はどうしても今ある暮らしがなるべく続いていってほしいと思ってしまいます。
余談ですが、〇〇ガイトという林地の字や畑地の字は水窪町に限らず私の出身地の春野町でも多く見られます。シモカイトさん、カイトナカさんといった苗字も聞いたことがあったのですが、この「カイト」の意味を知って、初めてそれらの由来がわかってとてもすっきりしました。
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